2014年 07月 31日
7つの習慣
人は物事をあるがままに、つまり客観的に診ていると思い込んでいるのが常である。しかし私たちは世界をあるがままに見ているのではなく私たちのあるがままに(条件づけされたままに)世界を見ているのだ。物事を説明しようとすると、それを結果的に自分自身、自分の知覚、自分のパラダイムを説明しているにすぎない。そして自分の意見に相手が賛成しないとなればすぐにその人が間違っていると思ってしまう。しかし誠意がありかつ知力に恵まれた人たちでもそれぞれの経験というレンズ(パラダイム)を通して同じ事実について異なる見方をするのである。
インサイド・アウトとは自分自身の内面(インサイド)を変えることから始めるということであり、自分自身の根本的なパラダイム、人格、動機などを変えることから始めるということである。
インサイド・アウトの考え方では、私的成功が公的成功に先立つ。つまり他人に対して約束をしそれを守る前にまず自分自身に対する約束をしその約束を守らなければならないということなのだ。また人格よりも個性を優先することは愚かなことであり自分自身を改善せずに他の人との関係を改善しようとすることは意味のないことだと教えている。
習慣の三つの要素
習慣は知識(何をするか、なぜするか)とスキル(どうやってするか)とやる気(実行したい気持ち)
常に自分の意見を述べるだけで人の話を真剣に聴かなければ友人・同僚・家族などの周りの人との関係はうまくいかないことになるだろう。正しい人間関係の原則を知れば聴く必要性が理解できるようになる。つまりこれは知識の問題である。
7つの習慣を身につけることにより次第に依存から自立へそして自立から相互依存へと成長していく。
依存している人は欲しい結果を得るために他人に頼らなければならない。自立している人は自分の努力によって欲しい結果を得ることができる。そして相互依存している人々は自分の努力と他人に努力を引き合わせて最大の成果を出すのである。
多くの会社は口先では顧客満足をうたい文句にしながら顧客と接する従業員のことを完全に無視している。P(目標達成)/PC(目標達成能力)の原則で考えるなら「顧客満足を願うなら一番大切な顧客に接するのと同じように従業員にも接しなさい」ということになる。人の手はお金で買うことが出来るが心を買うことはできない。熱意と忠誠心は人の心の中のものである。背中は買えても頭の中を買うことは出来ない。創造力、創意工夫、改善の精神は頭の中に宿るのだ。
最初の頃、私たちは気の向くままに、あらゆる事柄について話し合った。人、アイデア、出来事、子どものこと、家族、将来の夢。しかしやがてコミュニケーションが少しずつ深まるにつれて、そういった外の世界のことではなく、それぞれの内面の世界についてより深い話をするようになった。自分の育ち方、受けてきた脚本づけ、あるいは心情、自己懐疑など。またこういったコミュニケーションに深く入り込んでいる時、そのコミュニケーションそのものと、それをしている自分自身をも見つめるようにした。私たちは刺激と反応の間のスペースを新たな形で活かし始めた。そこから自分の受けた条件づけや、それが私たちの味方にどのような影響を与えていたかを、考えるようになった。
私たちが始めた自分たちの内面世界への冒険は、かつて知っていた外面的な世界の冒険をはるかに上回る興奮と発見に満ちたものだった。
しかし全てバラ色というわけではなかった。時として相手の気に障ってしまったり、恥ずかしい思いをしたり、心が痛むような思いをしたり、ということもあった。こうした経験射よって、お互いの心が非常に開かれ、そのため傷つきやすい状況に陥ることもしばしばあった。しかし、実のところそれは、何年も前から踏み入れたかった領域でもあり、その深く傷つきやすい領域に入り、出てきたときにはまるで自分の魂が癒されたような気持にすらなった。お互いに支え、助け合い、感情移入することは、この自己発見のプロセスに大いに役立つものであった。
やがて私たちの間に二つの不文律が出来上がっていった。一つは絶対に探らないこと。相手が傷つきやすい内なる自分を表現し始めた時点で相手に質問することをやめ、感情移入に徹することにした。探ることは相手の中に無理矢理立ち入り、相手をコントロールする結果を招くからだ。私たちは全く新しい領域に入っていた。それは不安や恐れ、あるいは疑いを非常に感じやすい領域だった。もっと深く相手の領域に入り込みたいという気持ちはあったが、相手が自分のペースで打ち明けなければならないということを理解し、その気持ちを尊重した。もう一つのルールはあまりにも心が痛むような話になったら、その日の話はそこで終わりにするというものだった。翌日、終わったところから始めるか、あるいは相手がその話を続けてもいいと感じるまで別の話題に変えることにした。たとえその場で解決できない話が残ったとしても、いつかそれについて話すことができると考え、急がないことにした。
愛を保つ鍵はコミュニケーション、話し合うこと、特に気持ちについて話し合うこと。
私たち夫婦が発見したことは刺激と反応の間のスペースを賢明に活かし人間の四つんの独特の性質を発揮することでインサイド・アウトから力が得られるということであった。以前はアウトサイド・インの接し方をしていた。つまりお互いを愛しているから行動や態度を改善したり人間関係のテクニックを使用したりすることでお互いの相違点を乗り越えようとしていた。しかしそういったバンドエイトや鎮静剤のようなその場しのぎの応急措置的な対応の効き目は長続きするものではなかった。自分たちの基本的なパラダイムに働きかけてコミュニケーションを図るまでは表面化の慢性的な問題は残ったままだったのである。インサイド・アウトのアプローチで努力するようになってからは開かれた信頼関係を築きお互いの相違点を乗り越えれるようになった。
豊かなWin-Winの関係、深い総合理解、驚くべき相乗効果は自らを管理することのよって育成された「根」から、自然に実ったものであった。
インサイド・アウトとは自分自身の内面(インサイド)を変えることから始めるということであり、自分自身の根本的なパラダイム、人格、動機などを変えることから始めるということである。
インサイド・アウトの考え方では、私的成功が公的成功に先立つ。つまり他人に対して約束をしそれを守る前にまず自分自身に対する約束をしその約束を守らなければならないということなのだ。また人格よりも個性を優先することは愚かなことであり自分自身を改善せずに他の人との関係を改善しようとすることは意味のないことだと教えている。
習慣の三つの要素
習慣は知識(何をするか、なぜするか)とスキル(どうやってするか)とやる気(実行したい気持ち)
常に自分の意見を述べるだけで人の話を真剣に聴かなければ友人・同僚・家族などの周りの人との関係はうまくいかないことになるだろう。正しい人間関係の原則を知れば聴く必要性が理解できるようになる。つまりこれは知識の問題である。
7つの習慣を身につけることにより次第に依存から自立へそして自立から相互依存へと成長していく。
依存している人は欲しい結果を得るために他人に頼らなければならない。自立している人は自分の努力によって欲しい結果を得ることができる。そして相互依存している人々は自分の努力と他人に努力を引き合わせて最大の成果を出すのである。
多くの会社は口先では顧客満足をうたい文句にしながら顧客と接する従業員のことを完全に無視している。P(目標達成)/PC(目標達成能力)の原則で考えるなら「顧客満足を願うなら一番大切な顧客に接するのと同じように従業員にも接しなさい」ということになる。人の手はお金で買うことが出来るが心を買うことはできない。熱意と忠誠心は人の心の中のものである。背中は買えても頭の中を買うことは出来ない。創造力、創意工夫、改善の精神は頭の中に宿るのだ。
最初の頃、私たちは気の向くままに、あらゆる事柄について話し合った。人、アイデア、出来事、子どものこと、家族、将来の夢。しかしやがてコミュニケーションが少しずつ深まるにつれて、そういった外の世界のことではなく、それぞれの内面の世界についてより深い話をするようになった。自分の育ち方、受けてきた脚本づけ、あるいは心情、自己懐疑など。またこういったコミュニケーションに深く入り込んでいる時、そのコミュニケーションそのものと、それをしている自分自身をも見つめるようにした。私たちは刺激と反応の間のスペースを新たな形で活かし始めた。そこから自分の受けた条件づけや、それが私たちの味方にどのような影響を与えていたかを、考えるようになった。
私たちが始めた自分たちの内面世界への冒険は、かつて知っていた外面的な世界の冒険をはるかに上回る興奮と発見に満ちたものだった。
しかし全てバラ色というわけではなかった。時として相手の気に障ってしまったり、恥ずかしい思いをしたり、心が痛むような思いをしたり、ということもあった。こうした経験射よって、お互いの心が非常に開かれ、そのため傷つきやすい状況に陥ることもしばしばあった。しかし、実のところそれは、何年も前から踏み入れたかった領域でもあり、その深く傷つきやすい領域に入り、出てきたときにはまるで自分の魂が癒されたような気持にすらなった。お互いに支え、助け合い、感情移入することは、この自己発見のプロセスに大いに役立つものであった。
やがて私たちの間に二つの不文律が出来上がっていった。一つは絶対に探らないこと。相手が傷つきやすい内なる自分を表現し始めた時点で相手に質問することをやめ、感情移入に徹することにした。探ることは相手の中に無理矢理立ち入り、相手をコントロールする結果を招くからだ。私たちは全く新しい領域に入っていた。それは不安や恐れ、あるいは疑いを非常に感じやすい領域だった。もっと深く相手の領域に入り込みたいという気持ちはあったが、相手が自分のペースで打ち明けなければならないということを理解し、その気持ちを尊重した。もう一つのルールはあまりにも心が痛むような話になったら、その日の話はそこで終わりにするというものだった。翌日、終わったところから始めるか、あるいは相手がその話を続けてもいいと感じるまで別の話題に変えることにした。たとえその場で解決できない話が残ったとしても、いつかそれについて話すことができると考え、急がないことにした。
愛を保つ鍵はコミュニケーション、話し合うこと、特に気持ちについて話し合うこと。
私たち夫婦が発見したことは刺激と反応の間のスペースを賢明に活かし人間の四つんの独特の性質を発揮することでインサイド・アウトから力が得られるということであった。以前はアウトサイド・インの接し方をしていた。つまりお互いを愛しているから行動や態度を改善したり人間関係のテクニックを使用したりすることでお互いの相違点を乗り越えようとしていた。しかしそういったバンドエイトや鎮静剤のようなその場しのぎの応急措置的な対応の効き目は長続きするものではなかった。自分たちの基本的なパラダイムに働きかけてコミュニケーションを図るまでは表面化の慢性的な問題は残ったままだったのである。インサイド・アウトのアプローチで努力するようになってからは開かれた信頼関係を築きお互いの相違点を乗り越えれるようになった。
豊かなWin-Winの関係、深い総合理解、驚くべき相乗効果は自らを管理することのよって育成された「根」から、自然に実ったものであった。
by jabit0505
| 2014-07-31 18:12
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